朝日のコラムより。

 早野透「ポリティカにっぽん」改革の灯 戦争の影
「コイズミという時代」になって強く感ずるのは、「改革」と「戦争」のアンサンブルである。何はともあれ自民党をぶっ壊すという宣言にこれまでの日本政治の停滞の打破を期待して、私も小泉首相の改革路線を基本的に支持してきた。しかし改革はあくまで改革であって、革命でも維新でも独裁でもないのだから、改革がさまざまな抵抗で必ずしも十分でないのもやむをえない。抵抗の中身には聞くべき内容もある。
 だが、私たち戦後世代は二度とあるはずがないと思っていた「戦争」のにおいが年々現実味を帯びてくるのはどうしたことか。むろん9・11同時多発テロがあって、世界の空気が変わったことはあっただろう。それにしても、日米同盟が錦の御旗のごとくなって、朝鮮半島から東南アジア、カシミールからアフガニスタンイラクパレスチナまで「不安定の弧」への日米共同の対応をとりざたされるようになるとは……。
 つい先日、「政党政治の歴史に学ぶ会」という学者、政治家、ジャーナリストによる勉強会があって、そこで坂野潤治・東大名誉教授の著書「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書)を素材に議論した。この本は、1936年から37年(昭和11、12年)の日本政治を分析する中で、「改革」と「戦争」の関係について興味深い指摘をしている。
 すなわち、(1)そのころはまだ民主的言論があったこと(2)当時の陸軍につながる体制改革派は同時に国防を指向し、労働者階級の社会大衆党もこれに同調していたこと(3)軍部批判で著名な民政党斎藤隆夫は案外、社会改良に冷淡だったこと――などの点をあげつつ、坂野さんは「構造改革の旗振り役の小泉首相自衛隊の派遣に一番熱心なのは当時を想起させる」「いわゆる抵抗勢力自衛隊イラク派遣に反対している姿は約70年前の斎藤隆夫と類似している」と述べている。
 待てよ、であれば「改革」はむしろ「戦争」と親近性があるということか。もしそうだとすれば、私が小泉さんの「改革」を支持しながら「戦争」を批判するのは成り立たないことにもなる。それは困る。それならば私もまた「改革」を捨てても「戦争」を阻む側にくみしたい。と思って坂野さんに聞くと、「改革はロマンの世界だからね」と答えた。そうか、改革もロマンならば、戦争もまたロマンの延長ということなのだろう。昭和史に学ぶならば、改革の旗にはよくよく気をつけよということか。
 「コイズミという時代」がひとつはブームとバッシングで揺れる世論、もう一つ「改革」と「戦争」のアンサンブルという2点で特徴づけられるとすれば、今年出たもう一つの「昭和史」(平凡社)の著者半藤一利さんの話にも耳を傾けなければならない。彼は「日本人はなぜ戦争をするのか」という答えを歴史に求めてこう言っている。
 「第一に国民的熱狂をつくってはいけない。その国民的熱狂に流されてはいけない。ひとことでいえば時の勢いに駆り立てられてはいけない」
 「二番目は、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的理性的な方法論を検討しようとしない」……。
 戦前、日本の新聞がにわかに「戦争」に加担していったのは、31(昭和6)年の満州事変がきっかけだった。これが日本軍の陰謀であることはうすうす感じていたのに、わが生命線「満蒙」の権益が侵犯され、忍べるだけ忍んできた日本の我慢も限度があると「戦争」の熱狂を盛り上げた。各新聞はそれぞれ多数の特派員を派遣して部数の拡大を競ったのだった。くどいようだけれど、そんな戦前の愚を二度と繰り返してはいけない、どうもへたをすると繰り返しそうだ、それが「ポリティカにっぽん」で心配してきたことである。
 くどいついでに今年出たもう一つの本に触れたい。「りぼん・ぷろじぇくと」という仲間たちがつくった絵本「戦争のつくりかた」(マガジンハウス)である。かいつまんでいうと。
 わたしたちの国は60年ちかく前、「戦争しない」と決めました。しかしわたしたちの国を守るだけだった自衛隊が武器をもってよその国にでかけるようになる。攻められそうだったら、先にこっちから攻めるというようになる。
 戦争のことはほんの何人かの政府の人たちで決めていいというきまりをつくる。テレビや新聞は政府が発表した通りのことを言うようになる。学校では、いい国民はなにをしなければならないかを教わります。だれかのことをいい国民ではない人かもと思ったら、おまわりさんに知らせます。おまわりさんは、いい国民でないかもしれない人をつかまえます……。
 最近、反戦ビラを配った人が捕まったりするのを見ていると、どうも本の通りに進んでいるなと思わざるをえない。で、本は結び近くにこう書いている。
 人のいのちが世の中で一番たいせつだと、今まで教わってきたのは間違いになりました。一番たいせつなのは、「国」になったのです。(2004/12/28)