学力低下

 学力低下について、やっとまともな論調が出てきた。

 ■《天声人語》12月16日付
 「教育とは、学校教育に邪魔されないで身につけなければならないもののことだ」とは米作家マーク・トウェインの味わい深い言葉だ。しかし、彼の母国アメリカでもそんな余裕はなくなってきたようだ。
 「危機が近づいているのではなく、危機のまっただ中にいる」「私たちは技術の戦争に敗北しつつある」。米紙が伝える過日の国際学力調査の結果である。それほど米国の生徒の成績は悪かった。日本でも「学力低下」への危機感が広がっているが、各国ともそれぞれ多様な悩みをかかえている。
 数学などで好成績をおさめた香港では、成績と態度とのギャップの大きさが顕著だった。自分に自信がない生徒が多く、学校への信頼も薄いという。全般に成績の良かった韓国では「あまりに厳しい競争社会」が危惧(きぐ)される。オーストラリアでは、先住民のアボリジニーとの格差が悩みの種だ。
 サッカーの国際ランキングにたとえて論じたのは英紙で「ところでわが国は、というとどこにも見あたらない」。英国は実施率が悪く、比較からはずされた。かわりに、というのでもないだろうが、総合1位のフィンランドをルポする新聞があった。
 結論は、「小さいことはいいことだ」。生徒7人のクラスがある。数学のクラスは17人だが、先生2人で教える。最多のクラスで19人だった。あの国に新規の移民が少ないことを指摘する記事もあった。
 現れる悩みは多様だが、大切なのは何のために学習するのか、させるのか、という問いではないか。それを忘れて順位に一喜一憂しては実り薄い。

 毎日新聞(2004年12月16日)から

 余録:学力低下
 「小児の文学の教えは、事しげくすべからず」。子供に学問を学ばせるには、あまり多くを教えすぎてはいけない−−日本初の体系的教育論とされる貝原益軒の「和俗童子訓」にそうある。子供が「学問を苦しみて、うとんじ嫌う心出(い)で来ることあり」だからだ▲こういうと益軒は今風の「ゆとり」教育論者にみえる。だが、そのすぐ後で示しているカリキュラムがすごい。四書五経を読むまでに暗記せねばならない古今の事項や詩句を延々とあげている。書は一文を数十回くり返しながら読めともいう▲当時の子供らがそれらを喜んで学んだかどうかは知らない。ただ現代では「詰め込み」教育が子供の学習意欲を損なっているとして始まった「ゆとり」教育である。しかし再び路線転換へ動き出しそうな形勢だ▲というのも世界のトップレベルだった日本の子供の学力の低下が、昨年実施された国際調査で相次いで明らかになったからだ。その結果と「ゆとり」を重視した学習指導要領との因果関係がはっきりしているわけではない。しかし、当初から学力低下が心配されてきた「ゆとり」教育だけに逆風はますます強まっている▲気になるのはその学力低下が、「ゆとり」で高まるはずの子供らの学習意欲の低下と連動しているフシがあることだ。こうなってみれば「ゆとり」で「生きる力」や「ヤル気」を育てられるとの見方そのものに疑いの目が向けられるのも仕方ない▲「ゆとり」によって子供の自主性を尊重しさえすれば、自主的な子供が育つわけでもなさそうだ。「詰め込み」に戻しても、その結果は体験済みである。実は教育への「ヤル気」を失っているのは大人の側ではないか。「ゆとり」論者・益軒の教育熱が、フッとそう思わせた。

 社説:学力低下 競い合う教育では復活しない
 「日本の子供の学力は国際的に上位にあるが、トップレベルとはいえず低下傾向にある」
 国際教育到達度評価学会による国際数学・理科教育動向調査(TIMSS2003)結果に対する、文部科学省の受け止め方だ。先日発表されたばかりの経済協力開発機構の学習到達度調査(PISA2003)結果に対するコメントとよく似ている。
 二つの学力テストの性格は随分違う。00年に始まったばかりのPISAは、15歳児の知識の活用力・応用力を問う。思考のプロセスや問題解決能力が重視される。もともと日本の子供たちが苦手とされてきた種類の学力だ。
 TIMSSは、小学校4年生、中学校2年生を対象に、算数・数学、理科の基礎的知識の到達度測定を目指す。40年前から実施されており伝統的な学力に近い。
 今回、小学校は算数、理科とも3位(前回95年は算数3位、理科2位)。中学校は数学5位(前回99年5位)、理科6位(4位)だった。平均得点は小・算数と中・理科は前回並みだが、小・理科、中・数学は、有意に下回った。
 順位はさほど変わらない。かつては1位だったが、今回上位のシンガポール、台湾などは参加していなかった。ただ苦手な学力に続いて、比較的得意と見られてきた学力も低下傾向にあることは、きちんと受け止める必要がある。
 問題は、なぜ下がったのかである。一般に学習量を減らしたゆとり教育に結びつける見方が多い。中山成彬文科相は「ゆとり教育で生きる力を育てようとしたがそうなっていない。全体的に見直しをと指示した」とゆとり路線の転換を示唆した。全国学力テストをして、切磋琢磨(せっさたくま)する教育をしないといけないとも述べている。
 しかし、事態はもっと複雑で深刻なのではないか。心配なのは今の子供たちは、知識量だけでなく体力や、精神的なたくましさ、粘り強さなど、生きていくのに必要な基本的な力が衰弱しているように感じられることである。数字の上ではっきりしているのは、体力・運動能力の低下だが、内面的な力にかかわる部分も、低下傾向にあるのではないか。学力についていえば、勉強しようとする、競おうとする意欲や、ものごとを考える姿勢の乏しさが気になる。
 PISAの読解力の調査では、「趣味としての読書」が少ないせいか、得点の低い層が大幅に増えた。TIMSSでも算数・数学、理科の勉強が楽しいと答える子供の数は、以前から諸外国に比べて圧倒的に少ない。さらに日本の子供がテレビやビデオを見る時間は最長だが、家の手伝いをする時間も短い。生活体験、自然体験の時間も減ってきている。
 こうした背景を考慮に入れた総合的な対応策が必要だ。文科省は二つの調査結果を多角的に、丁寧に分析し、今後の施策に生かしてほしい。「学校週6日制に戻せ」「競争させよ」などという短絡的な措置で、「学力」が復活するとは思えない。昔の詰め込み教育に戻せば済む話ではない。

 子どもの脳の発達についての記事。

 幼少期の目隠し、視覚神経の発達に影響・理研が確認
 理化学研究所は15日、成長過程の幼少期に視野を閉ざすと大脳の神経が変形することを動物実験で確認したと発表した。人間でも6歳ごろまでの小児が眼帯を長くつけて過ごすと立体的な物体を平面的にとらえるようになることが知られており、理研ではそれを裏づける成果とみている。16日付の米科学誌ニューロンに掲載される。
 脳が発達途上にある生後約25日のマウスの片方の目を4日間覆った。大脳の神経細胞をレーザー顕微鏡で観察したところ、突起の数が少ない細胞を確認した。中には半分程度に減っている細胞もあった。脳の神経細胞のネットワークは、両目から刺激を受けながらできあがっていく。研究チームの俣賀宣子専門職研究員は「一方の目を閉ざすと、その影響を受けた形でネットワークが構築され、視覚機能が立体的にとらえにくくなるのだろう」と話している。(日経新聞07:00)