『自然体験』と『自立するということ』

makuramori2004-11-28

 今日の産経新聞の一面に次のような記事が載っていた。

 日の出、日の入り見たことない小中学生の過半数。乏しい自然体験…「親が連れ出して」

 自然体験の調査に、「生まれてから一度も日の出、日の入りを見たことがない」と答えた小・中学生が過半数にのぼることが、川村学園女子大の斎藤哲瑯教授(教育社会学)の調査で分かった。「海や川で魚釣りをした」「身長よりも高い木に登った」ことのない子供も4割強。いずれも前回調査(平成12年)より未経験者が増え、過去最多。斎藤教授は「親が自然の中に子供を引っ張り出さなければ、太陽の動きを追う経験もできない」と危惧(きぐ)を抱いている。
 調査は今年6月、関東・東北の小中学生3288人を対象に実施。その結果、日の出や日の入りを見たことがない子供が、市部の子供で52.6%、郡部でも45.9%にのぼった。
 ほかにも「木の実や野草をとって食べたことがない」子供は市部で60.7%、郡部でも49.4%▽「わき水を飲んだことがない」子供は市部55.3%、郡部48.8%−など、自然体験の貧困さが目立つ。
 体験の貧困さは自然の中だけにとどまらず、日常生活でも「生まれたばかりの赤ちゃんを見たことがない」49.8%▽「自分の服を洗濯したり干したことがない」43.6%▽「包丁やナイフで果物の皮をむいたことがない」21.5%−と続く。
 年齢の違う人と触れ合う機会がなかったり、お手伝いもしないなど、衣食住すべてで日常体験が不足している、今の子供像が浮き彫りになった。
 一方で、自然体験が多い子供は、生活経験も豊かな上に「家にいるのが楽しい」「学校が楽しい」と答える割合が高い傾向にあり、多様な経験と生活の満足度に関連性が見られるという。
 斎藤教授は「旅行やキャンプといった“行事”ではなく、日常の中でちょっとした自然現象に目を配ることが大切。生活体験についても同様で、お手伝いをさせたり、地域の人と触れ合ったりして、日常の中で経験できるよう、親が配慮すべきだ」と訴えている。(11月28日 東京朝刊掲載)

 また、ちょっと前の毎日新聞には、こんなのがあった。

体験:
自然体験有無で字数に差 記述アンケに“注目”結果−−大分大助教授まとめ /大分
棚田での稲刈りなど自然体験はやはり効果あり

 ◇伝えたいこと多いから…「経験は必要」

 自然体験の効果を学生への記述式アンケートの回答文字数などで分析した珍しい調査結果を、大分大教育福祉科学部の伊藤安浩助教授(教育学)らがまとめた。計5問で自然体験や農業に関する考えを尋ねた。文字数の合計の平均は自然体験の経験者が1591字で最多。非経験者の平均文字数を大幅に上回り、伊藤助教授は「たくさん書いたのは伝えるべき何かを持っている表れ」と話す。【藤原弘】

 今年7〜8月、同学部の学生35人、県外の国立大理系学部の学生21人にアンケートし、大分大教育福祉科学部の軸丸勇士教授(物理学)と伊藤助教授が共同研究。うち森林ボランティアなどの自然体験があった17人、大分大の非経験者16人、理系学部の非経験者21人の計54人の回答を調べた。
 回答をひらがなに換算し、伊藤助教授がカウンターで数えた。回答文字数の合計平均は大分大の非経験者は1242字、理系学部の非経験者は1076字で、経験者より少なかった。
 自然体験の重要性の意味を説明する設問をみると、回答の平均文字数は経験者の382字に対し、非経験者(大分大)は305字、非経験者(理系学部)は289字。
 内容を自然体験が重視されるようになってきた「背景」と教育面などでの「効果」の二つの観点で分類すると、非経験者(大分大)の4人に1人、非経験者(理系学部)の1割が背景のみの記述にとどまっていた。経験者は、知識で書ける「背景」から踏み込んだ回答が多かった。その他、棚田の写真を使って、子供たちにどんな話をするか問う設問などがあった。
 伊藤助教授は「自然体験に意味があることを知ってほしい。自然体験の必要性をアピールする根拠の一つになる」と話している。(毎日新聞 2004年11月22日)

 よくノーベル賞受賞者の話が載っているのを見ると、必ずと言っていいほど、「子どもの頃は自然の中で遊び回り、その中で探求心を身につけていった」というようなことが書かれている。

 今日のテレビで、またもこんなとを言っていた。

 首相は堂々と靖国参拝を フジテレビ番組で平沼氏

 平沼赳夫経済産業相は28日午前、フジテレビの報道番組で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題について「本人が自民党総裁選に出るときに、どんなことがあってもお参りすると言った。政治家が言ったことは絶対に覆してはならない。堂々とお参りしてほしい」と述べ、来年以降も参拝すべきだとの考えを強調した。
 「自民党総裁として参拝する」との案には「姑息(こそく)だ。今まで記帳も『内閣総理大臣』でやっている」と否定。中国に対しては「中国も大国だ。内政に対することには(発言を)慎んで、理解を示すことが大切だ」と述べた。
 一方、民主党菅直人前代表は「太平洋戦争で日本人だけでも300万人が亡くなった。この戦争の指導者の責任はある。それを無しとするような形を取るべきではない」と、A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社への首相の参拝を批判した。(共同)

 この平沼赳夫経済産業相という人物は、以前こんな発言をしている。

 「個人尊厳行きすぎて、生徒が殺し合い」 平沼前経産相

 平沼赳夫夫前経産相は14日、大阪市内で開かれた亀井派所属国会議員のパーティーで講演し、教育基本法改正の必要性を強調する中で、「教育基本法では個人の尊厳が強調されている。日教組の教育とあいまって、個人の尊厳が行き過ぎて教室破壊が起こり、生徒同士が殺し合いをする荒廃した状況になってきている」と述べた。長崎県佐世保市の小6女児死亡事件を念頭に置いた発言と見られる。(朝日新聞06/14 23:27)

 なぜこの二つの記事を並べたかというと、ここに共通するのは、(主に保守的な)政治家や大人たちが自分達の『責任』というものについて全く鈍感になってしまっている、いや、もっと言えば、鈍感で反省できない人が保守的になる傾向があると思うからである。
 昨日も書いたが、例えば『引きこもり』でも『リストカット(自傷)』でも、あるいは『凶悪犯罪』でも『少年犯罪』でも、根本的には、今の社会が人間が人間として成長できない=脳が健全に成長できなくなっているのが原因であり、そんな環境を作ってきた張本人である政治家が自分の権力を正当化し、絶対化しようと、他者に責任を押しつけようとしている。

 『従軍慰安婦』 減ってよかった。中山文科相

 中山成彬文部科学相は二十七日午後、大分県別府市で開かれたタウンミーティングで、歴史教科書について「いわゆる従軍慰安婦や強制連行という言葉が減ったことは本当によかった」と話した。中学校の歴史教科書は本年度、教科書会社から申請された教科書を同省が検定作業している。発言は検定の責任者として、中立性を欠いているとの批判を呼びそうだ。
 中山氏は参加した市民からの「学校の平和教育の内容が自虐的ではないか」との指摘に答え、「大臣になって最初に見たのが歴史教科書。最近になってやっと、いわゆる従軍慰安婦だとか強制連行だとか、そういった言葉が減ってきたことは本当によかったなと思っている」と話した。
 さらに、「どこの国の歴史にも光と影がある。悪かったことは反省しなければならないが、すべて悪かったという自虐史観に立った教育だけはしてはいけない」と述べた。
 中山氏は直後の会見で「大臣になる前にそういう思いがあったので、教科書を見てだいぶ減ったと感じたということ。今回は検定の責任者になったから、中立的に見ていかなければならんかなとは思う」と釈明した。
 中山氏は大臣就任前、中学校の歴史教科書すべてに「従軍慰安婦」の記述が載ったことを問題視した議員らで発足させ、その後改称した「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の座長を務めていた。(東京新聞)

 この『自虐史観』という批判も、逆に言えば、その人の『自己愛』=『依存』的体質を如実に表していて、このままでは自立した国になるというのはほど遠い。
 一人の人間としても、国としても、他人の価値観を認め、ちゃんと人の意見や批判を聞き入れ、自分の欠点や足りないところを反省していくことからしか『自立する』ことはできない。