『凶悪犯罪』と『甘え』

 朝のワイドショーを見たら、やはり昨日の土浦の無職引きこもり男による両親と姉の殺害事件を取り上げていて、その中で、あるコメンテーターの弁護士が、しきりと「これは『甘え』だ」「『甘やかし』の結果だ」と言っていた。確かにそれもあるだろう。しかし、それでは何の解決策にもなっていない。要は、なぜ、引きこもりになるのか、親から自立できないのか、人とコミュニケーションがとれないのか、働けないのか。なぜ、暴力に走るのか。親を憎まずにはいられないのか。殺さずにはいられないのか…。

 そう考えていたら、今日の毎日新聞の片隅に載っていた『発信箱』というコラムで、『学習性無気力』という文字が目についた。

発信箱:『学習性無気力』 論説室・潮田道夫

 学習はとても貴重な能力だが、かえって害になる場合がある。
 セリグマンという心理学者が犬に電気ショックを与える実験をした。どうあがいても電気ショックから逃げられない状況を経験させる。犬はやがて抵抗をやめ、逃げられる状態にしても逃げずに電気ショックにうたれるままになる。
 この犬たちは「なにをしてもムダだ」ということを学習して、無気力になってしまったのだ。セリグマンはこれを学習性無気力とよんだ。
 治らないわけではないらしい。まずは失敗の原因をちゃんと認知すること。楽天的にものごとを考えること。そこらへんが立ち直りの第一歩らしい。ただしこれは素人の理解だから、正しいかどうか保証しかねる。
 なんにしても、無気力の学習とは、こわい話である。赤ん坊がむずかったら放置せずに、なにか反応してやるのが大事だと聞いたことがある。いま考えると、赤ん坊を無気力の学習から守ろうということだったのか。
 気になるのは国民年金の保険料不払いの多さだ。全体の約4割が不払いというのはいかにも異常である。若者のこころに学習性無気力が居すわっているのではないか。
 それはそうだ。年金関係で外郭団体を137もつくり、役員だけで199人も天下り。あげくグリーンピアなどで大失敗し巨額の施設売却損を出す。民間なら当然、株主代表訴訟で弁済を求められるところだ。
 政治家も目をそむけるだけ。いくら本格的年金改革を要求しても責任の押しつけあいだ。学習性無気力にならないほうがおかしい。

 考えてみたら、引きこもりというのは、一種の『学習性無気力』ではないのか。
 今の子供達は生まれたときから、狭い『刑務所』の中に閉じこめられている。狭い親や社会の価値観の中で、追いたてられ続けている。一日中テレビ漬け、ゲーム漬けになり、夜遅くまで学習塾に通い、当てもなく、享楽的に街を徘徊している子どもたち。 
 おんぶされ、抱っこされ、自然の中で遊び回り、労働に汗水垂らし、夜疲れ果て、ぐっすり眠ることを知らない。こんなんで人間としての『生きる力』が養われるはずがない。『自立心』が芽生えるはずがない。
 それは『甘え』とか『甘やかし』とか、あるいは『躾』とか『教育』とか『道徳心』とか、さらには『愛国心』とかというのとは全く別の問題であろう。『豊かさ』や『便利さ』と引き替えに、人間としての、根本的な『生きるための能力』が完全に失われていっている。
 そして、その現代の歪みや病理の症状として引きこもりや凶悪犯罪となって現れてきている。
 それを「『甘え』だ」と言って放置しておけば、あるいは「教育が悪い」とか「道徳を教えるべきだ」とか「奉仕活動を義務づける」とか「教育基本法改正だ」と、自分達の責任を全く棚に上げて、さらに子どもたちを閉じこめる方向持って行けば、いずれ日本は崩壊していくことは間違いないだろう。