靖国問題

 今日の読売新聞の社説によると…

 『政治交流の停滞は中国に主因』『日中関係の正常な発展を阻害しているのは、中国の「内政干渉」ではないか』『一国の指導者が戦没者に対し、いつ、どのような形で追悼の意を表すかは、その国の伝統と慣習に根ざす国内問題である。国内で議論があってもよいが、他国からとやかく言われる筋合いはない』

 それに対し、同じく今日の朝日新聞の社説では…

 『私たちは、首相の参拝に反対だ。戦没者への思いは思いとして、靖国は戦前の軍国主義の精神的な支柱だった。東京裁判A級戦犯とされた人々を合祀(ごうし)してもいる。中国側の参拝批判もこの点に絞られている。つらい歴史にもけじめをつけてこそ、尊敬される国になれる』

 そして今日の記事から…

 『自民党安倍晋三幹事長代理は23日、岐阜市内で講演し、中国の胡錦濤国家主席靖国神社参拝中止を小泉純一郎首相に求めたことについて、「首相が国のために殉じた方々に対して、尊崇の念を供するために靖国神社をお参りするのは一国のリーダーとして当然のことだ。外国から行くなと言われる筋合いのものではない」と述べ、強い不快感を示した』
 『自民党武部勤幹事長は22日夜、日中首脳会談で中国側から靖国神社参拝の中止を求められたことに関して「中国から言われて変えるようでは中国の言い分に屈した印象を与える。中国が言わんとすることはよく分かるが、わが国にはわが国の考え方がある」と記者団に語った』

 昨日も書いたが、私の意見は朝日の社説に近い。

 早いもので、オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件から来年三月で十年が経つ。しかし、今でも麻原彰晃を信奉する者達があちこちで事件を起こしたり、退去を求める住民達とトラブルを起こしたりしているニュースが大きく報じられている。もちろんそのこと自体は、大切な肉親を殺された遺族や、今なお後遺症に苦しんでいる人が大勢いて、また、捕まっていない犯人がいる現状の中で、当然といえば当然のことだろうし、もっと特に被害者の方々の状況については知らせる必要があるだろう。
 私は靖国問題も、それに近いと思っている。つまり、被害を受けた中国が、その侵略の象徴であり、それを推し進めた指導者が祀られているる靖国神社に一国の指導者が参拝し、崇拝するすることに対して、抗議することは当然なことであろう。むしろ、問題は小泉や安倍や武部などの発言の中に見られる病理にある。

 よくテレビなどで事件を起こした犯人について、決まって最後に「反省や謝罪の言葉もない」と伝えられる。私は常々疑問に思っていることは、なぜわざわざそれを付け加えるのだろうかということである。だって本当にその人が反省や謝罪ができる人間ならば、そもそもそんな凶悪な犯罪は起こさないだろう。
 何度も万引きを繰り返す人、仕事で同じ失敗を何度も繰り返す人、何度もマルチ商法に騙される人、何度もギャブルで大損して借金を繰り返している人…。それは、ある意味病気だろう。
 そこに共通するのは、「反省できない」「後悔できない」「謝罪できない」「相手に共感できない」「将来を想像することができない」こと。
 それは人間の持つ一つの能力であり、人間が自立していくための必要条件である。