■【主張】靖国神社 広く国民が参拝する場に(産経新聞2005年08月16日)
 戦後六十年目の終戦記念日を迎え、靖国神社に例年を大幅に上回る二十万人以上の参拝者が訪れた。高齢者の戦没者遺族に交じって、若いカップルや親子連れ、学生らの姿が目立った。
 参拝者の思いは「戦没者の霊を慰めにきた」「歴史に興味をもち、参拝してみようと思った」などさまざまだ。靖国神社への国民意識の高まりと参拝者の層の広がりを感じさせた。
 神社の周辺では、首相の靖国参拝に反対するグループが集会を開いたり、政治団体街宣車が走り回ったりしていたが、参拝者はそれらをほとんど無視するかのように、黙々と汗をふきながら参道を歩いていた。神社側もこれまでになく警備に気を配り、境内は静かに戦没者を追悼する雰囲気が保たれていたように思われる。
 靖国参拝は、戦没者遺族の世代からその子や孫の世代へと、確実に受け継がれているといえる。
 閣僚では、尾辻秀久厚生労働相小池百合子環境相がこの日、靖国神社を参拝し、中川昭一経済産業相らはその前に参拝した。尾辻氏は「戦死した父がまつられている」と個人としての参拝を強調したが、援護行政をつかさどり、過去に戦死者の合祀(ごうし)にかかわった監督官庁の長の参拝を評価したい。
 小泉純一郎首相の靖国参拝は今年、まだ行われていないが、靖国神社への国民の関心が高まるきっかけとなったのは、四年前の八月十三日の首相参拝だった。以来、小泉首相は中国や韓国の干渉に屈することなく、毎年一回の靖国参拝を続けている。今年も五回目の参拝が行われることを、多くの国民は願っていると思われる。
 小泉首相は戦後六十年の談話を発表した。一方的な謝罪に終わった戦後五十年の村山富市元首相談話を踏襲しながらも、「国策を誤り」など当時から批判の強かった表現は避け、アジアとの「未来志向の協力関係」を訴えた。村山談話が出された自社さ政権時代とは内外の状況が大きく変わっている。もっと小泉色を出してほしかった。
 靖国神社は、政治や外交とは離れた慰霊の場である。そこへ行けば、国民のだれもが自然な気持ちで国のために亡くなった先祖を思い、お参りできる社として、いつまでも栄えることを願いたい。

 戦後60年談話 発した言葉に重みを
 戦後六十年の終戦記念日に当たっての小泉純一郎首相の談話は、深い反省に基づいている。ただ、首相の実際の行動との食い違いが内外の不信を招いていることを、厳しく自覚してほしい。
 八月十五日に、首相談話を閣議決定したのは、一九九五年の戦後五十年に出された村山富市首相(当時)以来のことである。
 再び首相談話が必要だったのは、「植民地支配と侵略によって、多大の損害と苦痛を与えた」周辺の国々との間が、まさに歴史認識が原因となって、外交的にうまくいっていないからだ。
 「あらためて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するとともに、内外のすべての犠牲者に哀悼の意を表します」
 深い反省が込められた文言になっており、さらには「不戦の誓いを堅持する」強い意向も示している。
 六十年という節目に、内外に向けて発せられた首相の意思として、極めて妥当な内容だ。ただし歴史認識の部分は村山談話と全く同じだ。
 問題は、小泉首相のこれまでの行動がこの談話と食い違い、周辺国の反発を招いていることにある。
 一つは靖国神社参拝である。かつて首相は「戦没者に敬意を表する。私の心情から発する参拝に他の国が干渉すべきでない」と述べた。
 しかし靖国神社は、戦前には軍国主義をあおり、七八年からは首相も「戦争犯罪人」と認識する「A級戦犯」を合祀(ごうし)している。
 これでは、先の戦争を反省するどころか、肯定していると受け取られる。実際に被害国である中国や韓国は強く反発し、外交に支障を来し、ひいては国益を害している。
 首相は、ことし十五日以前に参拝する予定だったが、総選挙への影響を考慮して先送りしたようだ。それなら、外交的配慮もすべきだろう。
 戦没者や戦争犠牲者への哀悼は、この日の全国戦没者追悼式や首相談話で尽くされている。無反省の象徴と誤解を生む靖国参拝は、これからも取りやめた方がいい。
 また小泉首相は、六月の日韓首脳会談で靖国問題に関連して「無宗教の国立追悼施設」建設を「検討する」と約束した。
 しかし、首相は積極的に取り組む気配はみせず、来年度予算案での調査費計上も定かでない。
 これでは、中国や韓国などアジアの諸国と「未来志向の協力関係を構築していきたい」と言っても、なかなか信用されないではないか。
 小泉首相には、言行一致、今回の談話の重さと意味をしっかり認識するよう、注文をつけておく。(東京新聞2005年08月16日)

 【社説】61年目の出発 首相談話を生かしたい(朝日新聞2005年08月16日)
 15日。東京・九段の靖国神社。人の波と蝉時雨(せみしぐれ)がやまない。
 昭和天皇が60年前のその日、敗戦を国民に告げた「玉音放送」が再び流れてきた。参道で催された「終戦60年国民の集い」からだった。
 主催者が声を上げた。「崇高な自己犠牲をとげた英霊を弔うのに、他からとやかく言われるいわれは全くありません」。特設テントのいす席を埋めた大勢の参加者から拍手が起きる。
 東京裁判を批判し、合祀(ごうし)されたA級戦犯を擁護する声も聴衆の間から聞こえてきた。福島県から来たという84歳の元兵士は「中国が文句をつけるのは内政干渉ですよ」と話した。その近くでは旧軍の軍服姿の一団が軍歌を奏でていた。
 あの戦争に対する反省や責任の呪縛から解き放たれたような、奇妙な時空間が広がっていた。
 韓国はこの日、解放を記念する「光復節」である。ソウル市庁舎が3600枚の国旗「太極旗」で包まれた。植民地時代、日本が京城府庁舎として使った因縁浅からぬ建物だ。韓国民の民族心をくすぐらないではおかない。
 ナショナリズムは、いつまでも折り合いがつかないものなのだろうか。
 なぜ中国や韓国からそれほどまでに批判されなければならないのか。この春の反日デモなどの激しさは、逆に日本人の間に反発の気持ちを生んだ。
 日本がまた軍事大国化し、他国を侵略することなどあるはずがない。過去の非を追及するのもいい加減にしてほしい。そんな憤りが、中国や韓国に対する批判的な見方や、うっとうしいと思う感情を醸し出していく。
 ナショナリズムが暴走することの危険は、それをあおる愚とともに歴史が教えるところだ。他者の存在を受け入れ、思いやり、言い分に耳を傾ける寛容な心なしにその流れに歯止めをかけることは難しい。
 小泉首相はきのう、戦後60年の談話を発表した。植民地支配と侵略を反省して改めてわびるとともに、「内外すべての犠牲者」を追悼し、中韓はじめアジア諸国と協力していく決意を強調した。
 賛成である。戦後50年の村山首相談話を否定しようという動きもあるなかで、その歴史認識を引き継ぎ、未来志向を打ち出した点を評価したい。近隣国との連携なくして、世界化の時代は生きていけないのだから。
 同時に、大事なのは実践であることを強調したい。首相の靖国参拝や不用意な発言があれば、この談話はたちまち単なる紙きれに帰してしまう。
 さきに戦後60年の衆院決議が採決されたとき、一部の議員たちは棄権したり、欠席したりして不同意の意思を示した。
 だからこそ、アジアの人々は日本の指導者らの実際の行動を注視している。首相談話をうまく生かし、なんとか信頼を得るきっかけにできないものか。

 社説:戦後60年談話 首相は言葉の重み忘れずに
 小泉純一郎首相は、60回目の終戦記念日にあたって談話を発表した。閣議決定を経た政府の公式見解である。
 終戦記念日の談話といえば、95年の村山富市首相の戦後50年の談話が有名だ。自民党や国民の一部には自虐的だとの批判もあるが、先の大戦に対する政府の姿勢を明確にした点で意味があり、アジア各国からも高い評価を得ている。
 小泉首相の戦後60年談話は、歴史認識に関しては言葉遣いを含めおおむね村山談話を踏襲した。
 日本の「植民地支配と侵略」がアジア諸国の人々に「多大の損害と苦痛」を与えたとの認識を示し、「改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明したのだ。村山談話にあった「国策を誤り」の言葉はなかったが、反省の気持ちは伝わってくる。
 小泉カラーは、アジア諸国との「未来志向の協力関係」の構築を強調した点に表れている。「一衣帯水の間にある中国や韓国」と国名をあえて盛り込み、「ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だ」と述べた。これはぎくしゃくした関係にある両国への小泉首相のメッセージである。
 歴史認識については、従来の政府の見解をなぞり、とりたてて新鮮味があるわけでもない。小泉首相は4月のバンドン会議の演説で村山談話を引用し、過去の歴史に関して各国に反省とお詫びの気持ちを表明している。
 しかし、自社さ政権時代の村山談話とほぼ同様の歴史認識を、首相が自らの政権の認識として発表した意味は大きい。自民党総裁としての小泉首相が示したそれは、政府見解としてより重みを持つのはもちろん、村山談話に批判があった自民党内でも無視することができない認識になるはずだ。
 本来なら小泉政権村山談話に沿った政権運営をしなければならなかった。にもかかわらず、中山成彬文部科学相らが歴史認識に関する問題発言を繰り返し、中国や韓国から批判を浴びた。小泉首相はそれを黙認してきた。
 だが、小泉首相は談話を出した以上、自らの言葉に責任を持たねばならない。閣僚の問題発言を放置すれば、小泉首相に対する内外の信用が揺らぐことになる。二枚舌外交だとの批判も招くことになるだろう。これまでのような、あいまいな対応は許されない。
 外交的にも、中国、韓国との関係修復は大きな課題だ。談話で首相は「過去を直視して」協力関係を構築する方針を示した。そのためには、中断している日中会談の実現が不可欠である。今後の小泉外交に注目したい。
 村山談話は歴史的な公式見解として国際的に定着してきた。だが、その後10年が経過し、ナショナリズムの高揚などで内外の情勢や国民の意識も変化している。
 戦後60年談話は内外からどんな評価を受けるのか。小泉首相には靖国参拝という難しい問題がある。「小泉談話」として定着させるには、靖国問題を含め解決すべき多くの課題が残っている。(毎日新聞 2005年8月16日)