週のはじめに考える 『人を悪まず』の難しさ(東京5月22日)
 薫風やいずこ。惨事、不祥事、凶行、戦闘…。内と外で恨みの風が吹きます。難局に臨んで中国になんと孔子の教えで諫言(かんげん)するわが首相ですが、さて成り行きは。
 「其(そ)の意を悪(にく)みて、其の人を悪まず」(悪其意、不悪其人)
 孔子の子孫が編んだ書「孔叢子(くぞうし)」にある孔子の言葉です。
 昔の裁判官は罪を犯した者の心はにくんでも、その人をにくみはしなかった。何とかその人を生かそうとし、やむを得ない時にだけ処刑したが、今は逆で…。そう語った中に出てくる言、と漢文辞典にあります。
 この言葉、「罪をにくんで人をにくまず」という教えとなって、今に伝わりました。
孔子の教えを生かす
 にくむべきは、罪そのものであって、それを犯した人ではない、というのです。
 その精神は今裁きの場でしばしば表れます。病気に苦しむ愛妻の命を献身介護の果てに絶った老夫。重い障害を負ったわが子や暴虐を極める肉親を、思い詰め、あるいは耐えかねて殺害してしまった人など。さまざまな犯罪がありますが、必ず情状が吟味されて、酌量の余地ある時は軽めの刑や執行猶予が言い渡されたりします。
 心神喪失者の罪は問われません。初犯者に執行猶予がつきがちなのも更生を促す、つまり立ち直って正しく生きてほしい、と願うからです。刑事法の法理に、孔子の教えが根付いているのです。
 とはいえ、現実には人倫を踏み外した、人間の所業とは到底思えない凶悪事件が後を絶ちません。
 無差別連続殺人犯に襲われた児童たち、ゆがんだ欲望や金強奪の果てに命を奪われた少女や一家、通り魔の犠牲者…。そんな事件の犯人を、憎んではいけないなどとどうして言えましょう。八つ裂きにしても足りぬ恨みを遺族は抱き、世人も同感で犯人を許しはしますまい。
 そんな罪人が憎しみをわずかでも軽減される可能性があるのは、罪を深く悔い、反省謝罪し、全霊こめて償う意思を示した時でしょう。
 凶悪犯に限りません。あらゆる罪人、あの大事故を起こしたJR西日本をはじめ不正・不祥事の企業群、官公庁諸機関もしかりです。
 何はともあれ反省が見られるか。罪、過ちを繰り返さぬ手だてを講じたかどうかが問われるのです。
■首相答弁にハラハラ
 謝るかたわらから新旧のウソ、隠しが続々露見して謝り続けるJR西日本にあきれる。反日デモの乱暴をわびない中国の頑(かたく)なさを危ぶむ。だれも反省しないからではとイラクのテロ激化を憂える。
 そんなさなかです。わが首相の衆院予算委答弁に驚いたのは。A級戦犯合祀(ごうし)の靖国参拝についてでした。
 「戦没者の追悼の仕方に他国が干渉すべきではない」「A級戦犯の話がたびたび国会でも論じられるが、そもそも『罪をにくんで人をにくまず』というのは孔子の言葉だ」
 この前後で首相は、戦後日本は戦争を反省し、国際社会の平和構築に努力して、戦争に行かず、一人の戦死者も出していない−と答えていました。が、引用の語句にはハラハラさせられるものがありました。
 その一。「干渉するな」は国内問題に関してのみ言えること。戦没者追悼は戦争が前提にあります。侵略された被害国にとっては自国にかかわる問題でしょう。日本の姿勢に平和主義の陰りを覚えるなら、将来の国対国の緊張を案じて物申してくるのは必定か。内政干渉と怒るわけにはいかないでしょう。
 その二。「…人をにくまず」は、罪の被害側が口にすること。戦争の加害側が開き直って言えることではないうえに、孔子の言葉で当てこするとは何とも底意地が悪い。
 にくんではいけない罪人()にもいろいろあって、大罪の戦争指導者まで一般の犯罪者と一律にはくくりにくいでしょう。
 その三。「追悼」の姿を見せるだけでは戦争の反省を証明できない。戦争責任はまたもぼけましょう。「一億総ざんげ」で戦争責任が分散(一億化はつまり無化)し、その追及が放棄されたように。ナチ戦犯の時効を認めず、永久に追及し続けるドイツが近隣諸国の信頼を回復し得たのとは対照的な日本の、逃げのレトリック…。
■反省を自虐と呼ぶか
 戦争や日本の失政、落ち度の「反省」を、「自虐」と解釈して忌避するのは悲しき時流です。
 目下、国連安保理常任理事国入りを目指し、その支持国拡大へ世界で奪闘の日本。でも、肝心の近隣諸国から反対されては世界の信も薄まりはしないか。
 中国、韓国などは「A級戦犯合祀の靖国参拝さえ首相がやめれば」と、対日信頼回復のハードルを下げ、減らす配慮を見せています。
 わが国民多数も世論調査で「首相参拝はよした方が…」と。
 論語の言に学ぶならぜひこれを。
 「巧言令色、鮮(すくな)し仁」
 「和を用(もっ)て貴(たっと)しと為(な)す」
 「過って改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」

JR西相談役、「無責任体質残る」 運転士再教育は当然(2005年05月25日08時23分朝日)
 JR西日本井手正敬取締役相談役(70)は24日、朝日新聞社の単独インタビューに応じた。JR宝塚線の事故の背景について、「国鉄末期と同じ官僚体質や無責任体質が残っていた」として、企業体質に問題点があったとの認識を示した。運転士に過度のストレスを与えたと批判されている「日勤教育」については、「ミスを起こした人にきちんとした再教育をすることは当たり前だし、それが何回も続く人に乗務を降りてもらうのも当たり前」と語った。
 井手氏は87年の旧国鉄分割・民営化を推進し、JR東日本松田昌士会長、JR東海葛西敬之会長とともに「国鉄改革3人組」と呼ばれた。92年に社長に就き、97年から03年までは会長を務め、長く経営の最高責任者だった。
 井手氏は、事故当日、社員がボウリングやゴルフをしていたことなどが次々に発覚したことに触れ、「かつての国鉄が持っていたあしきものが復活したと思った。そうした地下茎を完全に取り払えなかったことについては、私にも責任がある」と述べた。
 企業体質の問題点について、「大企業病だと思う。そこに僕はものすごく責任を感じている。それが例えば一部では隠蔽(いんぺい)体質といった事故を軽く見せることにつながっていく可能性もなくはない」と話した。
 安全投資が遅れたという批判に対しても、95年の阪神大震災や99年の山陽新幹線のトンネル崩落事故を例に、「思わぬことでお金がどっと出てそこを集中的にしないといけないことがあるとすれば、全体として(投資を)調整しないといけない」とした。
   ◇
 JR西日本井手正敬・取締役相談役が24日、事故後初めてインタビューに応じた。同社の経営体質への批判が強まる中で、井手氏は社長・会長を11年近く務めた実力者だった。主なやりとりは次の通り。
 ――JR西日本の企業風土が事故の背景になったとの批判もあります。
 「JRになったときに国鉄末期の官僚的体質、無責任体質を猛反省した。民営化し、官僚的な体質はある程度きれいになったと思っていた」
 「事故の翌日以降、(事故当日に)ボウリングに行ったとか、ゴルフに行ったとかいう話を聞いて、かつての国鉄がもっていたあしきものがまた復活したと思った。そうした地下茎を完全に取り払えなかったことについては、私にも責任がある」
 ――経営効率を追求しすぎたのでは?
 「効率を上げるのは当たり前だと思う。もちろん、安全を無視してまで効率一辺倒にはしていない」
 「実際に事故が起きたから、安全について何を言っても弁明できない。だが、我々としても手をこまぬいていたわけではない。事故が起きた場所は、6月にATS―P(新型の自動列車停止装置)の整備が終わる予定だったが、たまたま4月に事故が起きた」
 「JR西日本では、阪神大震災があり、(耐震補強のため)新幹線の高架に鉄板を巻いた。(99年、山陽新幹線の)トンネルのコンクリートが崩落した事故もあった。思わぬことで集中的に投資しないといけないことがあれば、全体として(投資を)調整しないといけなかった」
 ――日勤教育が運転士にとってプレッシャーとなったとの意見もあります。
 「ミスを起こした人にきちんとした再教育をすることは当たり前だし、それが何回も続く人に乗務を降りてもらうのも当たり前だ。乗務員にストレスがたまっているというが、乗務員でストレスをもっていない人はいない」
 ――過密なダイヤ編成が事故の遠因と言われている。
 「ダイヤが過密というが、東京に比べたら宝塚線ははるかに余裕度がある。尼崎駅における接続時間が短いと言われるが、こういうことはダイヤ改定があったときに必ずある。そういうときはダイヤを微修正している。(スピードアップにしても)お客様のためだった」