社説比較。

 【社説】60年決議 言葉を超えた和解を(朝日新聞2005年08月03日)
 この10年間で何かが変わったのだろうか。きのう衆院で採択された「戦後60年」の国会決議を読んで、そんな思いにとらわれる。
 決議は河野洋平衆院議長の指示で実現した。国連創設や日本の被爆から60周年にあたることも踏まえ、「更なる国際平和の構築への貢献」を約束した。政府に「唯一の被爆国として」「核兵器の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦の実現」などへの努力を促した。
 10年前、同じように戦後50年の節目に国会決議が採択された。今回の決議とは違って、その時は激しい論争が巻き起こった。自民党社会党、さきがけの3党連立のもとで、社会党村山富市氏が首相だった。
 過去の植民地支配や侵略への反省と謝罪を盛り込むよう主張した社会党に対し、自民党が反発した。「日本だけが植民地支配や侵略をしたわけではない」「前科者として頭を下げるような決議はだめだ」といった批判が飛び交った。
 結局、植民地支配などの表現は入ったものの、与党である自民党から本会議への欠席者が続出。野党の新進党も欠席し、決議への賛成者は衆院議席過半数にも達しない異常事態だった。
 われわれは社説で「恥ずかしい。悲しい。やりきれない」と書いた。
 あれから10年。今回の決議では「わが国の過去の一時期の行為」がアジアや他国の人々に多大な苦難を与えたとし、反省を表明している。だが、「侵略的行為」「植民地支配」の表現は消えた。
 では、戦後50年決議やその後の「村山談話」にはっきりとうたわれたこうした過去に触れる必要がないほど、われわれの反省はアジアに広く受け入れられたのか。残念ながら、そうではない。
 この10年の間にも、自民党の政治家は創氏改名韓国併合を正当化するかのような発言を繰り返した。そのたびに、決議の「反省」は色あせた。
 そしていま、日本のアジア外交は八方ふさがりに陥っている。中国での激しい反日デモなどをめぐって、小泉首相は4月のアジア・アフリカ首脳会議で村山談話の表現をなぞり、理解を求めなければならなかった。
 和解は進んでいない。むしろ事態は深刻化しているように見える。
 国会決議に「侵略」などの表現が入らなかったからといって、反省の気持ちが後退したとは思いたくない。野党の要求で「10年前の決議を想起し」という一文が挿入され、戦後50年決議を踏襲する形にはなっている。
 自民党民主党に退席、欠席した議員がいたとはいえ、賛同した議員は前回とは比べものにならないほど増えた。
 近隣諸国との付き合いがうまくいっていないこんな時期だからこそ、国会の意思として改めて反省を表明したことは意味がある。この趣旨が少しでも生かされ、和解が進むよう国会自身が努力する責任がある。

 ■【主張】戦後60年決議 10年の劇的な変化を無視(産経新聞
 戦後六十年の決議が衆院本会議で採択された。抽象的な文言に終始し、重要な節目を迎えた国の立法府としての決意が伝わってこない。
 決議は歴史認識について「わが国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、改めてすべての犠牲者に追悼の誠をささげる」としている。
 十年前の平成七年六月、自社さ政権下の衆院で、新進党欠席のまま、議員数の半数にも満たない賛成で可決された戦後五十年の「謝罪・不戦決議」には、「植民地支配」や「侵略的行為」との表現があった。今回の決議には、そのような一方的な歴史認識の表現はなく、この点は評価されてよい。
 しかし、その代わりに、「十年前の『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』を想起し」という文言が加えられた。「植民地支配」や「侵略」の言葉を入れるべきだとする野党と、これに反対する自民党との妥協の産物である。依然として、社会党出身の村山富市首相時代の歴史認識から脱却できていないといえる。
 この十年で、日本を取り巻く国際環境は大きく変わった。
 平成十年、北朝鮮テポドンを発射し、十一年には、北の工作船の領海侵犯による自衛隊初の海上警備行動が発令された。二〇〇一(平成十三)年の米中枢同時テロ以降は、日本の自衛隊も国際テロ撲滅の一翼を担うようになった。さらに、平成十四年九月、金正日総書記が拉致事件を認め、北の国家犯罪が白日の下にさらされた。
 国家意識が希薄になりがちだった戦後の日本人も、「国家」や「主権」を意識せざるを得ない状況が生まれた。だが、今回の戦後六十年決議は、こうした十年間の変化を、ほとんど考慮に入れていない。
 相変わらず、「世界連邦実現」「人類共生の未来」といった地球市民的な理念が書き連ねられている。これでは主権国家としての意志がはっきりとせず、何も言っていないのに等しい。この戦後六十年決議に、自民党安倍晋三幹事長代理や拉致議連会長の平沼赳夫氏らは途中退席したが、その行動にはうなずけるものがある。
 国権の最高機関として、あまりにも空虚で現実味に乏しい決議である。

 ■【主張】靖国神社 静かな追悼の場としたい 赦免決議の原点を大切に(産経新聞2005年8月1日)
 戦後六十年目の終戦記念日が近づき、靖国神社を取り巻く環境が騒がしい。首相の参拝は是か非か−。いわゆる「A級戦犯」を分祀(ぶんし)すべきか否か−。だが、いま大事なことは、そのような議論より前に、そもそも靖国神社とは日本人にとっていかなる場所なのかに思いを致すことである。
 靖国神社には、戊辰戦争以来、国のために亡くなった二百四十六万余柱の霊がまつられている。このうち、二百十三万余が第二次大戦の死者の霊だ。沖縄戦で倒れた高等女学校の「ひめゆり部隊」や、旧日本領の樺太で任務を果たした後に自決した真岡郵便局の電話交換手らも含まれている。心ならずも戦死した人もいれば、信念をもって国に殉じた人もいる。
≪参拝乱す者の排除を≫
 毎年、五百万人の参拝者が訪れる。以前は、戦死者の妻や子にあたる遺族が多かったが、最近は、若い人が目立つ。それぞれの思いや追悼の仕方はさまざまである。どんな形でもよい。国民がいつも心静かに戦没者を慰霊することのできる場、それこそが靖国神社であろう。
 小泉純一郎氏が首相として初めて参拝した四年前の夏、靖国神社は異様な騒音に包まれた。参拝に賛成するグループの一部は街頭宣伝車を繰り出し、または境内で「万歳」を叫び、反対グループは「参拝反対」のシュプレヒコールを繰り返した。
 しかし、右であれ左であれ、靖国神社の静寂を乱し、冒涜(ぼうとく)する行為は放置されてはならない。神社側には警察当局の協力を得て厳しく対処する責任がある。靖国神社イデオロギー闘争の場ではない。中国や韓国からの干渉も、静かな追悼の場を乱すものである。参拝したくない人は行かなくてよいのである。
 靖国神社には、東京裁判で死刑を含む有罪判決を受けた東条英機元首相ら「A級戦犯」や、外地などで処刑された「BC級戦犯」の霊がまつられている。国民が「戦犯」を国内法では犯罪者とみなさず、許したからだ。
 昭和二十八年八月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。共産党武装闘争路線により議席数を大幅に減らした時期である。当時の左派社会党もこの赦免決議に賛成した。
 これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れた「A級戦犯」を昭和三十一年三月末、「BC級戦犯」を同三十三年五月末までに、それぞれ釈放した。また、刑死・獄死した「戦犯」の遺族に年金が支給されるようになった。旧厚生省から靖国神社に送られる祭神名票にも「戦犯」が加えられ、これに基づき合祀された。
 同じ敗戦国のドイツはいまも、ナチスの指導者を許していない。ナチスが行ったユダヤ人虐殺は通常の戦争犯罪とは異なり、人類史上、未曾有の計画的な国家犯罪だったからである。
 だが、日本国民は自国の戦争指導者をナチスの指導者と同等には扱わなかった。この原点をあらためて思い起こしたい。
 もちろん、東条元首相らの戦争指導責任が免れたわけではない。靖国神社にまつられていない東京大空襲や広島・長崎の原爆による非戦闘員の死者を含めると、先の大戦で三百万人を超える日本人が犠牲になった。先の戦争を賛美するようなことはあってはならない。悲惨な結果をもたらした敗戦責任は当然、問われるべきである。しかし、それは、東条元首相らを慰霊することとは別の問題である。
≪待たれる天皇ご親拝≫
 天皇陛下靖国神社ご親拝が途絶えて久しい。首相の参拝の次には、天皇陛下のご親拝を、多くの遺族は願っているのではないか。昭和天皇の最後の靖国参拝は「A級戦犯」合祀の三年前の昭和五十年十一月である。その年、当時の三木武夫首相は初めて「私人」と公言して靖国神社に参拝した。国会でも、「天皇靖国参拝は公的か私的か」と問題にされた。天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう。
 その後も、靖国神社の春秋の例大祭には、勅使が派遣され、各皇族が参拝されている。天皇陛下のご親拝を仰ぐためにも、靖国神社を元の静かな追悼の場にしなければならない。

 社説:『憲法』一次案 身が入らぬ自民の論議東京新聞
 「自主憲法制定」を掲げる自民党。その考える新憲法の条文案がこれなのか。郵政騒ぎのただ中という事情はさておき、身が入った議論の末の出来栄えとはとても思えない。「前文」をまず示せ。
 党の新憲法起草委員会事務局によれば、改憲論議を促すたたき台であるという。初めて条文ごとの改定案を提起した。広く意見を求め、十一月の結党五十周年党大会までの改憲案完成を目指す。
 一見して分かるのは、自主憲法とは名ばかりの「現行条文準拠」だ。旧仮名遣いや表現を改め、条項の整理に力点が置かれた。その中で異色さでひときわ目を引くのが「戦争放棄」を「安全保障」と言い換えた現行憲法九条の大幅書き換え、そして改正発議の条件の緩和である。
 改憲の照準は主としてここに向けられている、といっていい。他のほとんどの条文が今の憲法をなぞっているのは、改憲に必要な多数派形成へ、民主党公明党が近寄りやすくするための思惑からだろう。
 焦点の九条には「自衛軍」の保持がうたわれた。現行九条に準じて、国際紛争を解決する手段としての戦争や武力行使、武力による威嚇はしないと定める一方、自衛軍は「国際的に協調して行われる活動」、つまり海外での軍事行動を「行うことができる」と明記している。
 軍の暴走を抑える意味で、国際法規や慣例の順守、事前または事後の国会承認、首相の指揮監督権など、くどいほどの文言を並べながら、武力行使の範囲にかかわる具体的歯止めには触れていない。集団的自衛権行使の是非の言及も避けている。
 海外での武力行使には自民党内も賛否で割れる。海外活動そのものにも、今の憲法下で自衛隊イラク派遣がなされたことで改憲の緊急性を疑う声がある。逆に、解釈改憲が許容の限度を超えるとして歯止めをかけるための改憲を唱える立場の人の懸念にも、一次案は応えていない。
 疑問や懸念が募るのは各条項を貫く理念、それを明示する前文案が提起されていないからだ。前文がどう起草されるかで九条案の変更もあり得ると起草委幹部は言う。それでは議論に身が入らないのも当然だ。
 今さら皇国史観や復古調の前文など国民には受け入れられまい。議論に値するたたき台を出すことだ。
 一次案は地方自治条項を手厚くした。が、地方の常識になっているのを追認するだけでは意味が乏しい。
 国の宗教的活動に除外規定を設けた宗教条項も、首相の靖国参拝にお墨付きを与えるのが狙いならば、憲法論議は一気にしぼんでしまう。

 靖国参拝小泉首相に「8月15日」求める声明 5団体
 日本会議国会議員懇談会(会長・平沼赳夫経済産業相)など国会議員や学者らでつくる5団体は2日、国会内で記者会見し、小泉純一郎首相に対し終戦記念日の8月15日に靖国神社参拝を求める声明を発表した。声明は首相の靖国参拝に反発している中国や韓国に「内政干渉に抗議する」とした上で、新たな国立の戦没者追悼施設の調査費を予算案に計上することにも反対している。(毎日新聞 2005年8月3日)